森の中の聖なる神殿

日曜日に、つくば市にある松見公園に行ってきた。

急遽決まったことなのでネットで評判のいい公園をササッと調べた結果なのだけど、実はここ、僕が子供のころに何度か連れてきてもらった思い出深い公園。数十年ぶりとはいえ、行ったことあるほうが安心感あるしね。

そこで、こんなツイートをした。今回はその補足記事。


松見公園の名誉(?)のために言っておくと、ここは子連れにはかなりおススメスポットだった。

水鳥と鯉のいる池、広い芝生、アスレチック、と3パターンのエリアで子供を飽きさせない。少し冒険心のついた子供なら、中央にそびえる展望台に登りたいとせがまれること必死だろう(ただし有料)。

おむつ換え用のトイレはなかったかもしれない。あんまり探すこともなく、車の中で換えてしまった。もしあったら教えてください。


このツイートの中で言っている「大したことない」とは、当時の自分が遊んでいた範囲のこと。自分の中の思い出では公園全体を縦横無尽に走り回って冒険していたイメージだったけど、実際に遊んでいたのは公園のほんの一区画だけだった。

ムスメもこの区画に入ろうとしたが、
「あっ! あっちにハトさんがいるよ!」と気をそらして遠ざけてしまった。

思い出深い場所だから近寄って欲しかったわけではない。

森と池に面したその区画の地面はジメジメしていて、転べば泥だらけになる危険性があり、しかも僕は着替えを持ってきていなかったからだ。すみません、今度は持って行きます。


記憶の中の自分はそこ以外で遊んだ記憶がほとんどない。
無限に広く感じた空間は、半径5mあるかないかぐらいに縮んでいたし、巨大な古代神殿があった場所は、聖なる力を失ってただの四角いコンクリートのオブジェにしか見えなかった。笹の葉の舟が何度も飲み込まれた激流の川は、簡単にまたげてしまうほどの小さな水路だった。

遠い記憶なのでどこまで本当のことか分からないが、少なくとも親目線からすれば、ここに一日中いるのはきっとかなりの気苦労があっただろうと思う。泥だらけになるのはまだギリギリ良いとして、コケで滑って川沿いの石に頭を打とうものなら目も当てられぬ。

広い芝生とかさぁ、アスレチックとかさぁ、もっと楽しいところがあったろうに。でもずーーっとそこにいたんだよなぁ。

いやぁ・・・すまん。親すまん。付き合ってくれてありがとう。


そんなことを考えながらムスメを追いかけていると、彼女はガラス張りの休憩室を見つけてそこで遊び始めた。

「またね~」と言いながら出て行き、休憩室をぐるっと回ってから「おかえり~」と入ってくる。

僕はそれを休憩室の中から見ている。ただし、出入りするときの扉は一人で開けられないので毎回サポートしないといけないのがちょっと面倒くさい。

そして、そのループが何十回も続いた。

僕には何が面白いかよくわからなかったが、でもムスメにとっては、それが今日の遊びの中で一番楽しそうな遊びに見えた。

きっとムスメの中では、この休憩室が「聖なる神殿」なんだろうな、と思った。

この狭い範囲にムスメだけの世界があって、親になった自分がそれを「なにやってんだ…?」と見ている構図に、世代を超えた何かを感じて不思議な気分になった。


家に帰ってから、実家のほうのグループLINEに今日撮った写真を載せてみた。

ちなみに実家のグループは雑談がほとんどなく、基本的には連絡専用。みんな好き勝手に子供や動物の写真を流して、既読スルーは当たり前のドライでテキトーなグループだ。

でも今回は「松見公園行ったの?」と、珍しく親から即レスが来た。

回答ついでに、その公園に行った理由とかそこで感じたことを書こうと思ったけど、もう眠かったので「うん」とだけ返して寝た。

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